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教育委員コラム


ID番号 N12831  更新日 平成29年3月27日

〈教育委員コラム 平成29年4月〉

現場の熱気と共に

 教育委員会制度が新しくなって、総合教育会議が始まりました。整理しなくてはいけないこと、検討しなくてはいけないこと、変えていかなくてはいけないこと、市長と教育委員が一致して当たっていかなくてはいけないことが沢山あります。お互いの考えの違いを明確にすることは大切なことですが、違いから最良の方法を導き出すことが、子どもたちにとって一番大切なことです。
 毎年2回、中学校4校、小学校9校、13人の校長先生と教育委員が合同会議を持ってきました。それぞれの校長先生の個性が各学校の校風に出ていて心強く感じます。しかし、学校を訪問して授業を見て、教育現場の先生方の熱気に触れて感じることもたくさんあります。
 最近、教育支援センター(ハートフレンドにっしん)を訪問して、そこで働く若い指導員やスクールソーシャルワーカーの熱意に接して感動しました。将来を模索している多感な子どもたちに対して、待ったなしで対応しなければならないことにも、焦りを感じさせず、心のつながりを大切に取り組んでいる姿がありました。その子どもたちのために人生をかけて仕事に取り組む熱気に満ちた若い職員がいて、そこに悩みがあり、その声に耳を傾けてきました。
 意見交換を終えた時、この若い指導員達の情熱を肌で感じる教育委員会でありたいという思いを強くしました。
  教育委員会には、ひとつひとつの問題に結論を出し、方向性を決めていく責任ある冷静さが求められます。しかし、現場が直面する悩みや、現場を包む愛情や、現場の熱気を共有したいという思いを大切にする教育委員会でありたいと願っています。
                                                                           
                                                                                 平成29年4月 教育委員 鈴木卓也   

〈教育委員コラム 平成29年2月〉

AI先生登場!

 先日、NHKのニュースで、「AI先生登場! 教育はどう変わる?」という特集を見ました。
 世田谷区にある学習塾の数学の授業で、人工知能(Artificial Intelligence、AI)の搭載されたタブレット端末を用い、習熟度に合わせた「個別指導」が行われていました。このタブレット端末がAI先生なのですが、AI先生は、生徒の間違える傾向や解答までの時間などを分析し、中学校の数学およそ1万問のレパートリーの中から各生徒に適した問題を瞬時に出すことで、効率的な学習を可能にしていました。
 人間の講師は、勉強の指導はほとんどせず、手元のパソコン画面で、AI先生からリアルタイムで送られてくる生徒の解答状況や「手が止まっている」といった指摘、集中度合いのグラフなどをチェックし、必要に応じて生徒への声掛けをしていました。
 AI先生は、知識を習得させる力は優れていますが、意欲を喚起したり、みずから思考する力や周りの人と意見を交わしながら協力する力を育てたりすることは難しいそうで、AI時代に人間の先生が何をどう教えていくかの研究などについても番組で紹介されていました。
 
 第三次AIブームのなか、ビッグデータやディープラーニングなどの言葉が飛び交い、囲碁や将棋でプロ棋士をやぶったり、医療分野でめざましい成果をあげたり、自動運転が話題になったりと、AIの進歩の速さには目を瞠るものがあります。教育分野にAIが普及する日も間近に思われます。AIと馴染む科目についてはAIの力を借りることも効果的であると思いました。
 一方で、3月に予定されている学習指導要領の改訂で明確化される「主体的・対話的で深い学び(アクティブ・ラーニング)」の視点からの人間的な学びなどは、人間の先生にしかできない教育だと思いました。
 子どもたちが未来を切り開きよりよい社会の中でよりよい人生を送ることができるよう、心豊かでたくましい「生きる力」を育んでいかねばなりません。そのためには、学校・家庭・地域・行政が手を携え、子どもたちの成長を支えていくことが必要だと思います。これはAI先生ではなしえないことです。
                       
                                      平成29年2月 教育委員 山田美代子
                        

〈教育委員コラム 平成28年12月〉

 違いを知る

 8歳になる姪は、1歳を迎えた頃から小学校に入学するまでをアメリカで過ごしてきました。
 1年生になった当時、日本人でありながら、日本の小学校とアメリカの学校との違いに戸惑い、日本の小学校で、私たちにとって当たり前であることを受け入れるのに時間がかかりました。
 例えば、「朝、元気よく大きな声で挨拶をしましょう」、「給食のときに、みんながそろうまで待ちましょう」など…。
 日本で生まれ日本の小学校に通ってきた私たちにとっては、疑問に思うことでもなく、先生に言われたらそのままを受け入れることが出来ます。しかし、日本とは違う当たり前が存在する国で生活して、日本の当たり前を目の当たりにすると、どうしてそうしなければいけないのか、と疑問に思うものだと、姪の話を聞き、気づきました。
 それから1年が経ち、2年生の半ばを過ぎた姪。
 何かが違うかな?と思いながらも、元気に日本の小学校に通い、順応し、小学校生活を送っています。
 まだ8歳。ですが、日本とアメリカの違いを知り、葛藤しながらも日本の学校に慣れ、自分がどうあるべきかを考え、同調するだけではなく、自分はこう思うと主張し、成長している姪を、子どもながらに私はとても尊敬しています。自分の好きな鮮やかな色の洋服は休日に、学校に行くときは控えめでとしているところも。
 当たり前が違う、ということは、当然あることで、私自身直面することもしばしばです。
 その度に思うことは、違いがあって当たり前。たとえ意に反する当たり前であっても、それを頭ごなしに否定するのではなく、自分がどう受け入れることができるのかを考えたいです。
 もちろん、法に触れたり大きく常識から外れたりするようなことは、論外ですが。
 目の前にいる人との感覚の違い、当たり前の違いに気づくからこそ、自分の考えや、行動を見つめ直し、人に対して優しくしてみようと思えるようになるのではないでしょうか。
                                                                   平成28年12月 教育委員 藤井 美樹

〈教育委員コラム 平成28年10月〉

運動会 ~秋景

 「頑張れ~」の歓声と拍手が校庭に響き渡ります。秋は運動会(体育大会)の季節、市内の小中学校でにぎやかに繰り広げられました。
 小学校では、低学年のダンス(表現)運動から徒競走、高学年のリレー、騎馬戦、組立体操に至るまで、それぞれの体力に合わせた趣向あふれる競技が展開されました。一方中学校になると、より競技性も高くなり、動きも力強く、リズミカルになってきます。思わず見ている者側も体が動き出しそうになり、知らず知らず声も出てきます。
 スポーツはもともと競技者のものであったはずですが、同時に見ている側もとても楽しめるものになっています。スポーツの持つ原始的な表現力、人類の生への賛歌が感じられる気がします。全力で駆け抜ける児童生徒の姿に、心が揺さぶられるのは私だけではないでしょう。オリンピックはまさにそれの象徴ですね。今年は高校の体育祭にも出かけました。最も成長期にある高校生の躍動感は、圧倒的な迫力で見るものを感動させてくれました。予想以上に保護者の参観が多いのもうなずけます。
 小中高と成長していく子どもたちのすばらしい姿を、運動会を通じて目の当たりにしました。それゆえに、義務教育に携わる我々教育関係者に与えられた責務、課題の大きさを改めて認識した次第です。来年も日進の秋空に子どもたちの元気な声が大きくはじける運動会を迎えられるよう、仕事をしていきたいと感じ学校をあとにしました。
   最後に、ご多忙の中多数参観いただいた保護者の皆様に感謝申し上げます。

                                                            平成28年10月   教育長 吉橋 一典

〈教育委員コラム 平成28年8月〉

公私混同に陥る魔の椅子

 公私混同の疑惑がもとで、舛添都知事が辞職した。退職したことにより疑惑の追及がなくなり、真相は不明のままとなった。しかし、多くの人はその疑惑が真実だったと認識したように思われる。この問題が表に出た時に、なぜ自分がしたことを素直に認めなかったのだろう。なぜきちんと謝罪しなかったのだろう。もっともらしい理由をつけて、何とか言い逃れできると考えていたのだろうか。言い訳を重ねるごとに自分の首を絞めていって、結果的にどうにもならなくなったとしか思えない。本当に無様で見苦しい退陣だったように思う。
 公私混同の話は、舛添前都知事だけに止まらない。以前には兵庫の号泣議員の件があり、最近では富山の副議長の件が報じられた。報道されていなくても、まだまだ他にもあるのではないかと思えてならない。そう思うのは自分だけであろうか。
 公金を私用に使うなんてあってはならないことである。こんなことは誰もが分かっていることである。もちろん当事者たちに問うてもそう答えるであろう。それでもそのようなことが起きてしまう(してしまう)のは、なぜだろうか。公金であるということを忘れ、自分のお金だと思ってしまうのだろうか。そういう立場になると、公私の区別がつかなくなってしまうのだろうか。特に権力が伴う立場になると、天狗になってしまうのではないだろうか。人の人格や考え方を変えてしまう魔力にとりつかれてしまったようだ。全く魔の椅子のように思えてならない。
 公金を使う人は、知事や議員等の政治家に限ったことではない。身近でいえば、市役所や学校に勤める人たちも同じである。時々公金横領というニュースが流れるように、公務員の中にも公私の区別がつかなくなった人がいることも事実である。公への奉仕者であることを忘れ、与えられた立場を特権のように思ってしまうことが、そのような過ちに繋がるのだろうと思う。まさに椅子の魔力にとりつかれたと言えよう。
公務員の仕事(役目)として、何のためにどのように公金を使うのか、しっかり考えて正しい使い方・いい使い方をしてもらいたいものである。今座っている椅子が、魔の椅子にならないことを願うばかりである。
いろいろな不祥事が報道されるたびに、我が日進市は大丈夫か、日進市で起きていなければいいなと思う自分がいる。

                                                            平成28年8月   教育長職務代理者 森本 直樹

<教育委員コラム 平成28年6月>

やる気と思いやりを育てる

 教育委員の活動の1つに小中学校を訪ねる学校訪問があります。この催しは、保育園を巣立った子どもたちがどのように成長しているのかが見られるので、とても楽しみにしています。
 先日訪れた梨の木小学校の校舎は、高台で見晴らしのいい場所にあり、中庭には日進市の地形を形どった池があり、ショウブが美しく咲いていました。教室は開放的で1年生から6年生まで落ち着いて学習活動に取り組んでいる様子が見受けられました。教科によっては、黒板の方を向いて授業を受けるだけではなく、児童同士小グループでディスカッションをし、たくさんの児童が手をあげて自分の意見をしっかりと述べていました。
 校長室で背が高い男子児童が迎えに来てくれました。よく見ると小さいころに保育園で過ごした子どもでした。園では、元気が良すぎるぐらいのやんちゃな子どもでしたが、6年生の彼は、しっかりと落ち着いた話し方で、その成長した姿に驚くと共に大変うれしく思いました。先生からもクラスのリーダーとして活躍していることを伺いました。
 そのほかにも運動会の表紙になった素晴らしい絵を描いた児童や児童会活動に取り組んでいる児童たちなど思いがけず、うれしい再会をしました。
 今年、参加した市町村の教育委員研究協議会の研修では、子どもたちが社会を担うことが出来る人になるためにどんな教育をしたらいいのか。まずは、すべての子どもたちに質の高い幼児教育を目指そうということで、下記の表が提示されました。

 
プログラム型
(知識を中心に育てる)
子ども中心型
(自らの遊びの中で学ぶ)
(1)    知的能力
5歳児のIQ
7歳児の学力(CAT)
15歳児の知的能力(APL)
 
104
100
15.1
 
92
106
18.4
(2)    非行(15歳時点)
薬物破損
薬物乱用
 
1.72
3.17
 
0.39
1.89
(3)    犯罪(23歳時点)
平均逮捕回数
重大犯罪による逮捕歴があるものの割合
 
3.2
48%
 
1.3
17%
(4)    結婚(23歳時点)既婚者の割合
0%
18%
(5)    社会的行動・態度(15歳時点)
●家族は自分のことを余りかまってくれない
●スポーツに参加しない
●最近、本を読んだ
●学校での委員や係に選ばれたことがある
 
 
 
33%
 
56%
31%
0%
 
 
6%
 
28%
59%
33%

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
出典:「幼児教育への国際的視座」(ディヴィッドP・ワイカート著)東信堂
 
プログラム型とは、子どもに教科を教えるように知識を中心に育てるカリキュラムです。子ども中心型は子どもの興味を大切にし、自ら遊びの中で学ぶカリキュラムで育てる方法です。5歳児のIQは、プログラム型の子どもが104、子ども中心型が92でプログラム型が高くなっています。
 しかし、7歳になると学力の数値は逆転します。15歳になると知的能力も遊びの中で学ぶ保育を受けた子どものほうが優位になります。そして、非行、犯罪、結婚、社会的行動や態度等も表に示されたとおりの発達になっていきます。
 この結果を見てもわかるように、これからの幼児教育は知識を教え込むのではなく、子どもが自ら遊びを見つけ、その中で考えたり、感じたりすることが大切になってくることを表しています。
 つまりは先生の言うことを良く聞く「よい子」ではなく、自分の思っていることをはっきり表現できる子どもを育てなければならないことを再認識しました。
 これからも幼、保、小、中の関係者がますます連携し、日進市で育つ子どもたちが社会を担うたくましい人間に育つよう、願っています。
                                         平成28年6月 教育委員 成田 ゆき江

<教育委員コラム 平成28年4月>

思いやりの心を育てる

教科書引用

 これは、東京書籍発行の『新しい社会』6年生用の教科書に載っている文章です。全国の小学校で広く使われている社会科の教科書です。
  AHIは、アジア各地で医療を受けることができない地域や、衛生環境が悪い地域の人々の健康を守るための人材を育てる働きを続けているNGOで、必要なお金のほぼすべてを、寄付金でまかなって運営しています。米野木町の愛知牧場の隣にあります。

  今、学校での「いじめ」が社会問題になっています。当然のことですが、「いじめ」は学校に限ったことではありません。職場や、地域や、家庭にだって、社会のあらゆる集団の中に起こり得ることです。日進市でも、新しく立ち上げた総合教育会議の中で、「いじめ防止等基本方針」を作成し、家庭、地域、市、学校が一体となって取り組む体制を整えています。その中で一番大切なことは、「ささいな兆候を見逃さず丁寧に対応して行く」ことですが、その前に、人と人との関係において「思いやる心を育てる教育」の中に解決の道を見出していかなくてはなりません。
 生活面において実施された調査によると、「人の気持ちが分かる人間になりたい」「人の役に立つ人間になりたい」と考えている児童・生徒の割合が、日進市は際立って多いという報告を受けています。地域の中に良いお手本があり、それを目指す人々がこの街に集まって来るということは素晴らしい社会教育環境だと思います。社会の中で生きる「人」としての思いやりが育っているということは、「豊かな社会性を身に付けた教育」が成果を上げている結果だと思います。家庭が、地域が、行政が、そして学校が一体になって育んできた「人間教育」の成果ではないでしょうか。この子供たちが持つ豊かさを大切に守っていくことこそ、わたしたちの任務だと思います。
 これからの日進を支えてくれる若者が、学校の中で、日進市の中で、日本の中で、そして世界に出て行って、社会に役立つ人間を目指してほしいと願ってやみません。
 子供たちが社会に役立つ働きを目指す時、わたしたちのふるさと日進が「日本を代表するNGO(国際協力団体)を生んだ街」だということを、「教科書にも載っている街」だということを、誇りに思って成長してほしいと願っています。

                             平成28年4月 教育委員 鈴木 卓也

<教育委員コラム 平成28年2月>

公民教育の原点──カンボジア特別法廷を傍聴して

 40年も前のポル・ポト政権幹部を裁く特別法廷が、現在カンボジアで開かれていることを、私は知りませんでした。
 1975年4月から1979年1月にかけカンボジアの政権を握ったクメール・ルージュ(ポル・ポト派)は、原始共産主義社会の実現を目指して自国民を農村に強制移住のうえ強制労働させ、また大規模な粛清を行いました。その結果、全人口の約4分の1にあたる170万人から200万人が、飢えや拷問、虐殺などで亡くなりました。
 その責任を問う特別法廷は、カンボジアの内戦が終結した90年代後半にカンボジア政府から国連に協力が要請され、2006年にようやく、カンボジア国内刑法と国際法の双方を適用しカンボジア人と外国人の裁判官と検察官が共同で裁判にあたる「国際水準の国内裁判」という形態で始まったそうです。被害者参加制度が設けられ民事当事者約4000人、膨大な量の証拠や資料のため、長期化しているとのことでした。
 私は、昨年の夏、短時間ではありましたが、この裁判を傍聴する機会をいただきました。
 法廷に入る前にまず驚いたのは、裁判所の敷地内の休憩所の様子でした。夏休みということもありましたが、子ども会のような親子連れが何十人と食事を摂っていました。また、別の部屋では農民のような人たちがやはり何十人と休憩していました。
 法廷の様子にも驚かされました。大ホールの客席のような傍聴席の前方に防弾ガラスで仕切られた法廷があり、その防弾ガラスの向こうで現在進行形で行われている審理が、クメール語、英語、フランス語で同時通訳されています。この傍聴席は482席あるそうですが、ここにもたくさんの一般の人々がいました。
 一日平均450人の傍聴者、延べ20万人以上の人々の法廷傍聴──平均年齢24.5歳(2015年)、ポル・ポト政権崩壊後に生まれた世代が人口の70%以上を占め、事実・歴史が風化していく中で、難解な裁判を身近に感じてもらうために行われた様々なアウトリーチ活動の成果だそうです。
  50人以上の傍聴希望者のある村々への無料送迎バス、法廷と虐殺博物館とキリング・フィールドを見学する無料送迎バスツアー、地方での青空映写会、高校や大学への出前講義、独自のラジオ番組の放送、公判を生中継するビデオストリーミング…。こうした地道な仕掛けにより、特別法廷が、同民族内での大虐殺という歴史を清算して犠牲者や遺族に正義をもたらし国民和解を促し平和を構築する、新たな国の統合を図るのに役立っています。
 公民教育──国民としての誇りを持ち,国づくりやまちづくりに主体的に参加する人材の育成──の原点を見た思いがしました。18歳選挙権の始まる今、これまでの歴史を踏まえ,現状を適切に理解し,未来に向けて課題を解決していく公民としての資質が必要となります。学校教育だけではなく、家庭、地域、行政の地道な公民教育の仕掛けも必要であると思います。

                             平成28年2月 教育委員 山田美代子

<教育委員コラム 平成27年12月>

感じる心、共感の力

 幼い頃より、私のそばには常に音楽というものがありました。ピアノを習わせてもらい、地元の合唱団で歌っていた父の歌声を聴き、時には父と一緒にステージに立たせてもらうこともありました。祖母は三味線に大正琴に民謡と多趣味で、よく練習を聴いていたものです。
 学生時代は、合唱団で、明けても暮れても歌い、仲間とともに、より良い歌にするために・・・と語り合ったことは今でも大切な思い出です。先日、合唱団で大切に歌ってきた曲を我が子が学校で歌い、当時の友人と、同じ曲を歌うことになるとは・・・と、時の流れと曲の持つエネルギーに引き寄せられたのだと、ともに感激したところです。
 そして、今では、自分も歌いながら、子どもたちのピアノを弾き、中学校の部活で頑張っている、娘のフルートを楽しく聴かせてもらう毎日であります。
 その中で、私はいつのときでも、心が震えるような感動を経験し、その度に、また次も大きな感動に出会えることを楽しみにしているのです。特に合唱は、自分が歌っていても、聴く側であっても、声と声が重なっていくときのなんとも言えない感動が心に響き、温かい気持ちであふれていきます。
 そして、この感動や心の動きは、自分一人だけでなく、まわりにいる人と共有することで、より大きくなるものです。
素敵な音楽を一緒に聴いて素晴らしいと感じること、音楽に限らず何かを一緒に成し遂げたときの達成感、花壇に咲く花を「美しいね」と一緒に思う気持ちが、多くの人の心に残ってほしいと思います。
 今の時代、日々の忙しさの中では、なかなか感じることが出来ないことも常であり、また、テレビや新聞を見ると、目をそらし、耳をふさぎたくなるようなニュースが報道され、悲しい気持ちに押しつぶされ、余裕がないこともあることでしょう。
 ですが、そんな世の中でも心に響く感動が生まれ、それを感じることが出来ることに感謝をし、この先も多くの人たちの心が温かい心で満たされて欲しいと思うばかりです。
 
 先日、祖父の3回忌の法要の際に、ある言葉を聞きました。
 
     人に出会うときは春のように温かい心で
     仕事のときは夏のように熱い心で
     考えるときは秋のように澄んだ心で
     自分を責めるときは冬のように厳しい心で
                        (詠み人知らず)
 
 多くの方々の心にこの言葉が届くことを願ってやみません。 
 
                             平成27年12月 教育委員 藤井 美樹

<教育委員コラム 平成27年10月>

我が人生の故郷、日進

 「相野山小学校へ行ってくれ!」~当時の日進町役場へ就職した私が、初日に上司からかけられた言葉でした。市外から通っている私は地名が分からず、何処へ向かっていいのやら右往左往、何も知らない自分を情けなく思った覚えがあります。
 以来30数年の時が過ぎ、今では日進で一日の大半を過ごし、日進でお酒も飲み愚痴も言い、日進で多くの人たちと知り合うことができて…。ようやく、日進人の仲間に入れてもらったのかなあ、と思っています。
 生まれ育った場所が故郷の原点ならば、学生時代を過ごした切ない思い出の地は心の故郷、そして、仕事で人生の大半を過ごした日進は、我が人生の故郷と言えるかもしれません。
 人生の故郷、日進は、開発と保全の狭間で大きく様変わりしました。田んぼの風景が広がっていた日進駅前、飛行場のように長く伸びていた153号線バイパス用地、鹿の目撃情報が寄せられた香久山の丘陵地、遠く過ぎ去った日々の様子が今でもまざまざと脳裏に浮かんできます。そして、全て先人たちの知恵と努力の結実として今の魅力ある日進に変貌しました。

 私は、縁あって再び日進で働かせていただける身となりました。この地で日々を過ごせることを素直に喜んでいます。まだまだ本当の日進人になるのは時間がかかるかもしれませんが、我が人生の故郷、日進に向かって毎朝、車のハンドルを握っています。
                          平成27年10月   教育長  吉橋 一典

<教育委員コラム 平成27年8月>

「愛・地球博」から10年

 愛・地球博」が開幕をして今年で10周年となりました。お隣の長久手市にメーン会場があったこともあり、市民の皆さんの中には、何回も訪れ様々な楽しい思い出のある方もおありかと思います。私が万博開場を訪れたのは、延べ100回近くとなりましたが、観覧したパビリオンやイベントは、ほぼ皆無という変わった経験の持ち主であります。実は当時、市の万博担当をしておりまして、日進市のイベントを開催したり、縁あって市が交流やお世話をすることとなった「パラオ共和国」や「バングラディシュ人民共和国」のパビリオンのお手伝い、両国の要人警護やイベント等の支援をさせて頂いておりました。先日、そうした仕事に携わった市町村の担当者や県職員の皆さんと、この10年を記念して再会する機会がありました。万博を契機に長い付き合いとなった仲間はもとより、閉幕以来の方々とも旧交を温め懐かしく楽しい時間を過ごすことが出来ました。
 こうして私にとっては、本当に思い出深い「愛・地球博」ではありますが、今、市内の小中学校に通う大半の子供たちにとっては、残念ながら年齢的にも記憶に無いイベントであったと思います。でも、この子供たちには、2020年「東京オリンピック・パラリンピック」があります。テレビ観戦だけではなく、開場へ出向いての熱い応援、いやいや選手として出場しメダルを手にしているかもしれません。夢や期待は膨らむばかりであります。現状、新国立競技場整備計画の迷走によりマイナスイメージが先行してしまいましたが、「愛・地球博」も会場予定地の自然環境問題で紆余曲折があり、開催も危ぶまれた難局を市民の知恵と協働により乗り越え、まさに「自然の叡智(えいち)」をテーマとした万博に変貌を遂げ成功することができました。5年後の間近に迫った「東京オリンピック・パラリンピック」が、子供たちに勇気と感動をもたらし、生涯記憶に残る素晴らしいオリンピックとなるよう願ってやみません。
                          平成27年8月   教育長  青山 雅道

<教育委員コラム 平成27年6月>

親の役目、学校の役目

 躾(しつけ)という字は、身に美しいと書きます。辞書には「子どもなどに礼儀作法を教えて身につけさせること。」とあります。つまり、人として身を美しくするということです。「これは誰の役目でしょうか?」と問えば、きっとほとんどの人が「その子をこの世に送り出した人、つまり親の役目だ。」と答えるのではないでしょうか。私もそう思います。
 子どもが一人前の大人になるまでに身につけることは、たくさんあります。そうなるまでの保護者は親ですので、責任は親にあります。しかし、躾は家庭でできることとできないことがあります。
 幼い子どもは確かにかわいいです。「かわいい、かわいい」だけでは、子どもは育ちません。家庭での子育ての中心は、個(人)としての基本的生活習慣を身につけさせることでありましょう。幼い時にそれを自然に身につけさせるには、親がその手本を示し、子が親の真似をするという形がいいのではないかと思います。「忙しいから」とか「面倒だから」というのは問題外です。子育てから逃げていると言われても仕方ありません。
 基本的生活習慣を身につけ、自分のことが自分でできるようになると、次は社会性の育成です。つまり、人との関係づくりであります。家族以外の人とどう関わっていくかを学んで実践(経験)することです。これは家庭ではできません。
 保育園・幼稚園や学校という集団生活の中で身につけていくことになります。最初からうまくできる子は少ないでしょう。そこで叱ったりして子どもを委縮させてしまっては何にもなりません。いろいろな経験を通して子どもは学び、育っていくものです。親は子どもの応援団とか相談役といった立場になっていくのです。
 親と子がいがみ合って傷つけたり殺したりするという、悲惨で痛ましいニュースが報道されます。当事者の親子関係はどうなっていたのだろうと考えさせられてしまいます。「子は親の宝」であるならば、そのような事件は起きないと思うのです。
 学校は、そのような宝である子どもたちが通ってきます。一人一人みんな成育歴は違うし、家庭環境も違います。そのような子どもたちを教え・育て、その子に合った方向に導くことが、学校の役目であると思います。集団生活を送る中で、その子をどう活かしていくかが使命だと思うのです。学校は、授業を通して、またいろいろな教育活動を通して、その子の人間性を育む場であります。
 親も学校(教師)も、その子が立派に成長することを願っていることは共通していると思います。ともに手を取り合う姿こそ、子どもの成長(幸せ)に繋がる道標になるのではないでしょうか。
                     平成27年6月   教育委員長職務代理者  森本 直樹  

<教育委員コラム 平成27年4月>

子どもと自然

 先日、日進市と友好自治体提携した志摩市へ行ってきました。志摩市は三重県南部に位置する人口五万余名の市で、志摩郡に属していた五町が合併し平成16年に誕生しました。志摩市は周囲を海に囲まれ全域が伊勢志摩国立公園となっています。海はリアス式海岸で、穏やかな海は豊かな海の幸がとれ、自然とのふれあいの場としても大変恵まれている地域です。
  しかし日進市と異なり人口が年々減少しており、今後は観光事業に力を入れる施策と伺いました。子どもにとって小さい頃に自然とふれあい、五感を通して自然の楽しさや厳しさなどを感じておく事がとても大切だと思います。現代の子ども達は早い時期からIT社会と触れ合わなければなりません。小さい頃にどろんこ遊びや自然体験を幅広くしておかないと、現実世界とバーチャル世界の違いが分からなくなってしまいます。この点からも小学校で行われている野外活動も貴重な経験だと思います。
 志摩市では年間三千名の学生が志摩の自然体験に参加しているそうです。日進市も自然にまだまだ恵まれているものの、年々戸外で自由に遊ぶ事は少なくなっていると思います。志摩市でも身近に素晴らしい自然があっても、子ども達がそこで遊ぶ事は少ないとも伺いました。
 これからは、学校や家族が子ども達と共に自然体験を共有する事が大切だと思います。志摩で体験できるシーカヤック、シュノーケル体験、海ほたる観察、自然染め、シェルクラフト体験等は、子どもの心と体を力強く育てる素晴らしい体験だと思います。日進市と志摩市がこれからも交流をする事で子ども達が豊かに成長できる事を期待して志摩市を後にしました。
                                                                  平成27年4月 教育委員 成田ゆき江

<教育委員コラム 平成27年2月>

旅先にて その2

  昨秋、長崎の「軍艦島(正式名は端島(はしま)」を訪れる機会がありました。
 大正時代から「軍艦島」は良質の石炭を産出して日本の近代化を支え、また第二次世界大戦後も、エネルギー供給の面から 日本の復興と高度成長に貢献してきました。
 昭和30年代中期、ピーク時は 炭鉱で働く労働者とその家族を含めて5,300人弱の人口を擁し、その人々がわずか6.3ヘクタール(約19,000坪)の限られたスペースで生活していたといいます。
 そこで、人口密度は東京都特別区内の約9倍で、当時“世界一”でした。
 その後、世界的なエネルギー事情の変革と共にその存在価値が低下し、ついに昭和49年に炭鉱は閉山に至りました。居住者が島を去った後は、長らく“無人島”となり、今世紀に入って所有する企業から 島が地元自治体に無償譲渡された後、平成20年頃より観光資源として注目を浴びる様になってきた事は、御存知の方も多いと思います。
 現在、同島へは複数の海運会社から遊覧船が出ており、長崎港からの所要時間は約50分程です。
 しかし、島への上陸が許可される気象条件は非常に厳しく海が穏やかでないと、島の桟橋に接岸できず、約7割の乗船客は島を目前にして沖合からの景観のみを土産話に引き返さざるを得なくなるそうです。
 私の訪問当日は、日頃の行いの良さもあって(笑)“無風快晴”で無事に上陸し、ボランティアガイドさんの説明を聞きつつ、決められた順路を回りました。
 沖合からの景観と、上陸して目の前で見るのとでは、“大違い”でした。あの有名なビル群(大正時代に建設された“日本最古の鉄筋コンクリート高層住宅”)、廃鉱、風化したコンクリート・レンガ等瓦礫の山、樹木がほとんど無い唯一の丘で重量感溢れる壮大な景観に、私は言葉もありませんでした。そういった景観と共に、人々の生活を感じさせるものもありました。
 生活の場である高層アパート群、病院、お寺(墓地は隣の島)、そして娯楽の少ない離島では夏季の貴重な楽しみであったであろうプール、等々。また、商店街や郵便局、小規模ながらパチンコホールもあったそうです。そして、学校の校舎・運動場や、保育園もありました。小中学校校舎は7階建ての共同高層ビル、保育園は高層アパートの屋上に園舎と遊具が設置されていたとの事です。学校の運動会は、島を挙げての“大イベント”だったそうです。ガイドさんの話によれば、特に炭鉱での労働環境は厳しかったそうです。島から立坑が地下(海底下)1,000メートル以上に延び、さらにその底部から2~3キロ四方にわたって掘られた坑道(横坑)は常時“高温多湿”。作業後は、作業着のまま入浴する習慣があり、すぐにお湯が汗と粉塵で真っ黒になる程だったそうです。しかし、家族を持つ労働者達は厳しさや制約・危険もある中で、生活の維持・向上はもちろん、我が子を本土の高校や大学に行かせるという夢を叶える為、一生懸命に働いたといいます。
 この島で必死に働いていた我々の先輩達、一緒に暮らしていた家族、皆それぞれの夢を持ち、活気に満ちた日常があり、それぞれの普通の幸せな生活があった事。第一印象で衝撃を受けた景観の背後に厳然と存在する、そんな物語に私は観光気分もどこへやら、深い感動を覚え、身の引き締まる思いで島を後にしました。島から遠ざかる船上から「軍艦島」を振り返ると、古びたビル群が 往路とは違って見えました。無機質な感じから変わり、何かを訴える“生き物”であるかの様に。
 
※日本の近代化時代の象徴の一つとして、この島の「世界遺産」への登録運動が、年々活発になっています。現在 同島内の建造物の風化・劣化・倒壊が進行しており、早急に保存・維持対策が必要であり、早期の登録が待望されています。

                                                                                       平成27年2月  教育委員 坂井陽二

<教育委員コラム 平成26年12月>

イクメンの勧め

日進市に住んで36年になります。この街で二人の子どもを育ててきました。長女が小学校に入った28年前、保護者参観日へ行ったら、驚いたことに参加した父親は全校で私一人でした。それでもメゲずに出席し続けていたら、次女が6年生になった8年後には、随分たくさんのお父さんがいて心強く感じました。今、保護者参観日や学校開放日には、驚くほどたくさんのお父さんが来てくださいます。確実に時代が変わってきていることを感じます。もちろん体育祭にも多くのお父さんがお越しくださいますし、学校によっては「おやじの会」という協力組織もあって、お父さんたちが学校運営に積極的に参加してくださっています。

 
 私は、保護者と先生が話し合う個人面談にも、可能な限り妻と二人で出席しました。それは、この子にとって家庭教育の責任者は妻と私の二人だという思いと、一年に二回しかない学校教育の責任者との情報交換、意見交換の場に、家庭教育の責任者が欠席してはいけないという思いがあったからです。私は当時、会社勤めをしていましたので、どうしても都合がつかない時には日程を変更してもらって出席しました。
 学校教育と家庭教育は車の両輪のようなもので、両方が連携して機能しないと子どもの教育はうまくいかないと思っています。その両方の責任者が担任教師と保護者だと考えています。学校教育の責任者と家庭教育の責任者が、情報を共有し、理解し合い、信頼関係を築いた上で子どもに接していくことは、子どもの成長にとって何より大切なことだと思うのです。
 
 女性の社会進出が進む中、育児を夫婦が分担する社会になってきました。イクメンがトレンディーになっています。親が男女の別なく子供の教育にかかわる時代がやってきました。主夫を実践するお父さんだっています。そんな背景もあってか、お父さんが学校にお越しになる機会が確実に多くなってきていると感じ、喜んでいます。多感な成長期にあって子どもが嫌がることもあるかと思いますが、親が真剣に子どもにかかわろうとする姿は通じるものと信じています。
 
 どうか日進市で子育てをしているお父さんも、様々な機会を通して学校にお出かけください。子どもの教育に参加するというより、あなた自身が子どもの教育の責任者なのですから。様々な環境や都合によって参加できない保護者の皆様もいらっしゃると思います。でも、何かの機会を見つけてお越しいただきたいと願っています。また私達も、お越しいただく機会を積極的に準備して、開かれた学校を目指していきます。オシャレなお父さんがたくさん来てくだされば、子どもたちの学ぶ意欲も旺盛になってくると思います。多くの保護者の皆様や地域の皆様に参加していただいて、日本一住みやすい街で、日本一の子育て環境を、皆様と共に作り上げていきたいと願っています。
 
                                平成26年12月 教育委員長 鈴木卓也

<平成26年9月>

君が僕の息子について教えてくれたこと

 先日、NHKの「君が僕の息子について教えてくれたこと」という特集を見ました。
 日本の自閉症の若者・東田直樹さんが、8年前13歳の頃に書いた『自閉症の僕が跳びはねる理由』というエッセイ集が、『The Reason I Jump』というタイトルで世界20か国以上で翻訳され、各国で異例のベストセラーとなり、自閉症の子どもを持つ世界の多くの家族の救いとなっているそうです。
 英訳したのは、アイルランド在住の著名な作家デイヴィッド・ミッチェル氏。重度の自閉症の息子が何を考えているのかわからず子育てに半ば絶望していたころ、直樹さんの本に出会い、息子がなぜ床に頭を打ちつけるのか、なぜ奇声を発するのか、その答えを、直樹さんの言葉を借りて息子さんが語っているような思いがしたそうです。そして、自閉症の子を持つ世界の家族に向けてこのエッセイの存在を知らせ、自閉症者への誤解を正そうと動き出したのです。
 
 「どうして上手く会話できないのですか?」―「話したいことは話せず、関係のない言葉は、どんどん勝手に口から出てしまうからです。」「僕たちは、自分の体さえ自分の思い通りにならなくて、じっとしていることも、言われた通りに動くこともできず、まるで不良品のロボットを運転しているようなものです。」  (『自閉症の僕が跳びはねる理由』より)
 
 日常会話もままならない彼の内面に、繊細な瑞々しい感情があり、それをパソコンや文字盤を用いて表現することができるという現実は、衝撃的でした。
 MRI検査によると、彼の脳は、言葉を話す役目を負うブローカ野と言語を理解するウェルニッケ野をつなぐ弓状束に異常が見られその伝達がうまく機能していない。しかし、他人の意図を読み取る右脳の一部分の体積は、健常者より大きいのだそうです。
 反応のない息子の気持ちを知るために、様々な方法を試した母親の美紀さんが、直樹さんが文字に強い興味を示すことに着目し、孤独でコツコツとした練習を積み重ねて、筆談や文字盤を使っての意思疎通ができるまでになったのです。
 
 「どんなものが怖いですか?」―「人の視線が怖いです。人はいつも刺すような視線で見ます。」「何時が一番幸せな瞬間ですか?」―「昔は自然と一体化した時間が幸せでした。今は、家族で笑っている時や僕の本を読んだ人たちから感想をいただけるときが幸せです。」 (ミッチェル氏との面談のやりとりより)
 「僕のために誰も犠牲になっていないと子ども時代の僕に思わせてくれたのが僕の家族のすごいところです。」(ミッチェル氏との面談後の随想より)
 
 直樹さんの絞り出すような発語は、私の心を揺さぶり、番組を見ている間涙が止まりませんでした。皆がそれぞれの思いを抱えて一生懸命生きているのだということに改めて気づかされ、人生や他者への思いが一変しました。直樹さんには既に10冊以上の著書があり、テレビ等でもたびたび取り上げられ、講演活動なども行われているにも関わらず、私は今回のNHK特集の再放送で初めて直樹さんのことを知りました。この出会いにも深く感謝しています。
                                      
                               平成26年9月 教育委員 山田美代子

<平成26年7月>

「夢と希望と喜び」

 現在、日進市の8小学校区に家庭教育推進委員会(通称家推)があり、PTAや区など地域の皆さんと連携や交流を図るなかで様々な事業を展開し、家庭・学校・地域が一体となって子育てを応援していただいております。
 この家推から3月に発行されます情報誌「かてい」に、毎年、言葉を寄せさせていただいておりますが、今年は以下の内容を載せていただきました。
 
 日進市は今年の10月で市制施行20周年を迎えますが、市制施行当時の人口は約5万5千人、そして現在は約8万6千人を数えております。この増加は、主に毎年1千人前後の出生と5千人前後の転入される方々によるものであります。
 実は、私も名古屋市から当時の日進町へ30数年前に家族5人で転入してきた一人であります。父親はいわゆる転勤族で、退職を機に住まいを求めたこの日進への引越しが丁度10回目となり、結果、相次ぐ転校となり、小学校4校、中学校2校を経験することとなりました。
 今思い返しますと、母親は引っ越した先々で「子ども会」や「友の会」(近所のお母さんたちがお菓子作りや手芸等を習う集まり)の活動に、私たち兄弟3人を連れて積極的に参加しておりました。おかげで、転居先で孤独感や疎外感を抱くことなく、同級生はもとより地域の人とも直ぐに顔見知りになることができたと思っています。
 日進市においては、他の市町に誇れる家庭教育推進委員会があり、各地域の特性を活かした魅力ある活動を展開いただいております。本当に日進市の子どもたちは幸せであり、これから移り住む方々にとりましても心強い限りです。
 さて、前述の小学校4校の記憶も徐々に薄れてしまう中、皆さんもそうかもしれませんが校歌だけは不思議と良く覚えており、1年生から2年生の途中まで通いました釧路市の大楽毛(おたのしけ)小学校の校歌「海は僕らに謳うのだ、波が私に話すのだ、広い世界の僕たちは、夢と希望と喜びの、郷土の星になるように」は、今でも空で歌うことができます。
 この校歌のように、日進の子どもたちが将来へ「夢と希望と喜び」を抱き、個々に個性豊かに輝く「郷土の星」となれるよう、皆さんと共に見守り育むことができればと心より願っております。
 
                                                                              平成26年7月 教育長 青山 雅道

<平成26年4月>

オリンピックに思う

 2月中旬から下旬にかけて、ソチオリンピックのテレビ中継を見て、いろいろなことを考えさせられた。

 一つ目は、マスコミの影響の大きさについてである。

 オリンピックの精神は、「参加することに意義がある」であったはず。世界の一流選手たちと競う場で、自己ベストが出せた・満足のいく演技ができたという選手が称賛されるべきではないかと思うことが何度かあった。報道では結果(順位)がすべてであったように思われる。確かにメダルを取った選手は立派である。メダリストを集中的に報道するのは当然のことであろう。しかしその陰で、メダルは取れなかったけれどベストを尽くした選手たちに対しては、マスコミの対応は意外に冷ややかであったように思われる。遠く離れた国で行われる競技を日本で見られるのはマスコミのおかげであるが、その報道の仕方について疑問符をつけるのは私だけであろうか。

 二つ目は、仕事と重なる点についてである。

 オリンピックのモットーとして、「より速く、より高く、より強く」という標語がある。どんな職業でも仕事をする上での基本的なことに当てはまるように思われる。どういうことかと言うと、「より速く」は仕事の速さと報告や連絡の迅速さであり、「より高く」は常に高い目標を立てて積極的に物事に挑戦する姿勢であり、「より強く」は何事にも打ち勝つ強い精神力・競争相手に負けない強い力を示し、責任を他に転嫁せず自分自身を律することであるということではないかと思う。異論はあるかもしれないが、私はそのように思う。

 三つ目は、子どもの育成についてである。

 2020年に東京でオリンピックの開催が決定した。それに向けて選手の育成が各競技団体の課題となるであろう。一流選手の多くは、幼い時からお金と時間をかけてその競技に取り組んでいる。それがその子にとって幸せなことかどうかは別問題として、取り組んでいるすべての子がオリンピックに出場できるわけがない。結果的に大成しなかったり途中で挫折したりした子がどうなっていくのか気になってくる。いらぬ心配かもしれないが、子どもたちの健全育成を考える立場の一人として、ついそのように思ってしまう。

 オリンピックに限らず、いろいろなスポーツ番組を見ることが大好きで、頑張っている選手たちの姿を見ていると、競技から離れていろいろ考えてしまう自分がいる。

 平成26年4月   教育委員 森本直樹

 

<平成26年2月>

小学校へ入るまでに

 日進市は、出生率の高い県内でも珍しい地域です。
 日進市で生を受けた子は「心のふるさと日進」という思いで、成長していきます。
 4月に入学を控えたご家庭も多いことでしょう。「早く小学校に行きたい!」「小学校に入ってやっていかれるかしら?」と期待と不安で一杯の事と思います。小学校生活は、子ども達にとって「勉強する」と共に「友達をつくる」「先生を信頼する」事で楽しく過ごすことができます。その為には、小学校に入る前に次の様な事に気をつけましょう。

“子どものよい所を見つけ認めてあげ、お父さんお母さんとの信頼関係を作りましょう”
 信頼の心は、お友達づくりや先生への信頼関係の基礎になります。

 “心の発達の為には、体を動かしての感覚をみがき、自然とふれあい、五感を育てましょう”
 このやる気が、知的な働きの意欲にもつながっていきます。

“子どもをマッサージしましょう”
 スキンシップ、マッサージをすると子どもの脳からオキシトシンというホルモンが出るそうです。オキシトシンは脳の扁桃体で働いて、信頼関係や愛情関係を深め、コミュニケーションの力を促進させます。落ちつきのない子にも症状を軽くする効果が実証されています。オキシトシンを脳に一杯だしてあげると、脳の神経回路が変わります。
 そして一度形成された神経回路はあまり変化しません。ですから大人になっても、学習能力が高くストレスにも強い脳になるのです。スキンシップ、マッサージを一杯して、オキシトシンを出してあげることは、その子の一生の宝になるのです。

 平成24年度に小学校での暴力事件は8426件あったそうです。
 これは10年前の6倍に増加していると聞いています。小学校入学前に余りにもよい子に育てようという思いがかえって、子ども達の育つ力をゆがめているのではないでしょうか。
 子ども同士のちょっとしたけんかも大切なコミュニケーションのトレーニングの一つだと思います。
 自分の思いをはっきりと言葉で伝えられるように周囲の大人は時間を与え、広い心で子ども達を見守りたいものです。日進の小中学校はどこへ行っても先生方の教育にかける真摯な心が伝わってきます。私達教育委員も一生懸命子どもの育ちを支えていきます。
 

平成26年2月 教育委員 成田 ゆき江

<平成25年12月>

旅先にて

 本市の教育委員を拝命して、早いもので3年目に入りました。
 今現在でも見るもの聞くものが非常に新鮮で、教えられる、教えていただく事が多く、非常に貴重な機会を頂戴していると大変ありがたく感じています。
 また私自身、普段の“視点”が変わったと感じる事があります。例えば、旅行先・出張先でその地域の学校の建物(校舎)、設備や運動場、また、そこで遊んだり運動している児童、登下校中の生徒等が、自然に目に付く様になりました。知らず知らずの内に、そういった習性が身についたのでしょう。
 日本全国の都市部はもちろん、どんなに地方や離島に行っても間違いなくそこに学校が在り、そこで「教育」が行われているという事に、私はいつも安心と感動を覚えています。

 つい先日も沖縄県の某離島を観光中、実際に学校を見る事はできませんでしたが、地元のガイドさんからその島には「小中学校併設校」が在るという説明がありました。島の全人口約350人に対して40数名の児童生徒がその学校に在籍し、20数名の先生から学んでいるというお話でした。私はその日本の南端でも、やはり確実に「教育」が実践されているという事実に触れる事ができた訳です。
 日本各地に存在する学校は、全国均一かつ高レベルな「教育」を実践する為の“道具立て”であり、それが全国に隈無く、万全に調えられている事実は、日本の「教育環境」「教育行政」の“素晴らしさ”と“ありがたみ”を、私達に暗黙の内に教えてくれていると思います。

 ただし、それら「道具(手段)」は国や地方自治体が言わば“与えて”くれますが、その手段を運用して目的を達成する、つまり実際に「教育」に携わるのは、当然我々大人や親です。今の子ども達が大人になる将来、ひいては地域や我が国の未来を見据えて、我々が考えぬいて判断し、然るべき活動をしなければなりません。そこには“広い”だけでなく、“長い(永い)”視野が求められていると思います。一時的な状況や風潮、あるいは単なるイメージの基での判断は、将来に大きな禍根を残します。日本各地で校舎や子ども達を目の当たりにする度、先に述べた安心と感動と共に、私は我々大人や親は、未来に対して重大な「責任」を負っていると、改めて感じています。
 

平成25年12月 教育委員長職務代理者 坂井 陽二

<平成25年10月>

学ぶ喜び

 10年ほど前から、インドの田舎に学校を建てる運動に参加しています。インドでは今もカースト制度が根強く残っていて、生まれた時から将来の職業が限定されています。私たちが支援している学校で学んでいる子どもたちは、将来、厳しい労働環境の中で限られた仕事にしか就くことができません。そして、貧しい生活が余儀なくされています。
 私はこれまでに2度、現地を訪れました。その学校は、チェンナイ(旧称:マドラス)という街から車で3時間ほど走った小さな村の中にあります。衛生環境も悪い貧しい集落の中にある、藁ぶき屋根で電気も通っていない薄暗い教室のコンクリートの床に、たくさんの子どもたちが座って先生の話に聞き入っていました。私たちのグループは今も、先生2人分の人件費を支援して学校の存続を願っています。そんな環境の中にあっても、子どもたちの生き生きとした笑顔には、学ぶ喜びが溢れていました。

 日進市の新設校を見て、改めて日本の教育環境の素晴らしさに感動します。現在の制度の中で学ぶ日本の子どもたちは、学ぶ権利を保障されています。子どもたちだけでなく、すべての世代の市民が「学ぶ権利」を喜びとして、生き生きとした笑顔で学び続けてほしいと願っています。
 多くの先人達が創り上げた、教育に対するひたむきな努力の上に、今日の私たちの教育環境が整えられていることに感謝せざるを得ません。これからも、教育先進国から学ぶべきことはたくさんありますが、新興国から学ばなければいけないこともあるのだということを知りました。
 インドの粗末な教室で、「学ぶことのできる喜びに溢れた」子どもたちのキラキラ輝いた目を見ていて、感じたことです。
 

平成25年10月 教育委員長 鈴木 卓也

<平成25年8月>

唯一の解決策

 "One child, one teacher, one book, and one pen can change the world. Education is the only solution." (1人の子ども、1人の教師、1冊の本、1本のペンで世界を変えることができます。教育こそが唯一の解決策なのです。)女性が教育を受ける権利を主張して、昨年10月タリバンの武装勢力に頭を撃たれ、奇跡的に回復したパキスタンの少女マララ・ユスフザイさんの言葉です。圧力に屈せずに教育の普及を求め続ける彼女の誕生日にちなみ世界中の教育の普及を考える「マララ・デー」とされた7月12日、16歳となった彼女は国連でスピーチを行いました。
 パキスタン初の女性首相であり2007年に暗殺されたベナジル・ブット元首相のピンクのショールを身に着け、「銃弾で人を黙らせることはできない。弱さや恐怖や絶望は死に、強さと力と勇気が生まれた。」と彼女は語りました。そして、「貧困、無学、不正、人種差別、基本的権利の剥奪といった世界の課題に対する唯一の解決策は教育である、すべての子どもたちに教育を」と力強く訴えました。驚くべきことに、彼女は、自分を撃った兵士ですら憎んではいない、自分が銃を手にして彼が目の前に立っていたとしても自分は彼を撃たないであろう、と語りました。それは、教育から得た、「慈悲の心」、「変革の精神」、「非暴力の哲学」、「許しの心」から、自分の魂が「穏やかでいなさい。すべての人を愛しなさい。」と語りかけてくるからなのだと、教育の力を説いています。今なお命を狙われている16歳の少女の、教育に対する真摯な希求、人類に対する深い愛情に圧倒されました。教育は、これほどの力を持っているのだと感銘を受けました。

  日本国憲法第26条で保障された日本の教育制度は、長い時間をかけてととのえられ、教育は当然のものとして存在しているように感じられます。しかし、いじめや貧困など教育を阻害する要因もさまざまに存在しています。教育は、次代を担う子どもたちの礎です。「すべての国民が、その能力に応じて、ひとしく教育を受けることができるように」私たち一人一人が、「教育を受ける権利」、「教育を受けさせる義務」の意味を肝に銘じていかねばなりません。

平成25年8月 教育委員長 山田 美代子

<平成25年6月>

今の気持ちを忘れずに

 この春も日進市に20名近くの新規採用教職員を迎えることとなりました。そこで、皆さんの前で話す機会を得たことから、私から3点ほどのお願いをさせてもらったのですが、その一つに「市民の感覚を失わないで欲しい。」というものがありました。以下、その概要を記述させていただきます。
 皆さんは、教員の世界の入り口に立っておりますが、これから勤務する小中学校のどの教職員よりも、学生や市民の感覚を持っております。学校に限らずどこの職場でも、その組織に長く居ると、馴染んでしまい、知らず知らずのうちに、市民の感覚を失い、世間と乖離してしまうことがあるかと思います。
 教育社会が閉鎖的であると言われることがあります。「いじめ」や「体罰」といった問題は、象徴的にそのことを問われますが、こうした問題自体は、もちろん深刻であり絶対起こしてはなりません。そのうえで、今日、改めて問われているのは、問題や事件が起こってしまった時の、教師や学校、教育委員会の対応や対処のあり方であります。
 教師を志した皆さんは、こうした事案を、報道等で知り、そのとき、何を思い、何に疑問を感じ、何に怒りや悲しみを覚えたのか、その感覚をいつまでも忘れないで、持ち続けていて欲しいと心より願っています。

平成25年6月 教育長 青山 雅道

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